平成27年度 大阪成蹊女子高等学校 2月全校朝礼講話
今日から2月になり、本年度の授業も残り少なくなってきました。有終の美を飾るという言葉がありますが、学習や予餞会等の行事で最後まで一生懸命に努力してくれることを期待しています。
さて、先月軽井沢で大きなバス事故があり、多くの若者が亡くなりました。テレビで連日取り上げられていました。大阪でも、今年の冬、高校生の事故が複数起こっており、事故の数は減っていません。昨年の年末、大阪市内で高校生が無免許でバイクに二人乗りし、事故で亡くなっています。大阪の交通事故は、他府県に比べても自転車の事故が多く、多くの高校生がなくなっているという実態があります。
春夏秋冬と交通安全週間が年4回設けられますが、安全週間に配られたあるプリントには、交通事故についての注意などが書いてあり、その中には事故の家族について実際にあった話が書いてありました。
私は、短いお話でしたが、初めてそれを読んだとき、心に強く響くものがあり、是非皆さんに紹介したいと思います。
それは交通事故で加害者の立場で亡くなった人の家族の話でした。交通事故で、相手の方も亡くなり、事故を起こしたお父さんも同時に亡くなりました。残されたのはお母さんと子供たち、上の子が小学二年生、下の子が五歳の男の子の兄弟です。
この人たちは、保険にはいってなかったのでしょう。事故の補償などで、家もなくなり、土地もなくなり、やっとのことで四畳半のせまい所に住めるようになりました。
お母さんは、自分たちの生活費だけではなく、事故でなくなった人への補償金の支払いもあって、朝の6時30分から夜の11時まで働く毎日でした。 朝、子どもたちが起きると、お母さんは仕事に行ってます。夜は、子どもたちが寝た後で、疲れ果てたお母さんが家に帰ってきます。いつも、男の子の兄弟だけでご飯を食べています。
そんな日が続くある日、お母さんは疲れ果て、精神的にも追い詰められ、ついつい子ども二人と一緒に、お父さんのいる天国に行くことを考えてしまっていました。そんな状況で、実際にあった子どもたちの出来事を、お母さんが文章にしたためたものです。
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(以下、プリントから、「しょっぱいお豆」)
朝、出かけに上のお兄ちゃんに、置き手紙をした。
「お兄ちゃん、お鍋にお豆がひたしてあります。それを煮て、今晩のおかずにしなさい。お豆がやわらかくなったら、おしょう油を少し入れなさい。」
その日も一日働き、私はほんとうに心身ともにつかれ切っていました。
皆で、お父さんのところに行こう。 私はこっそりと睡眠薬を買って帰りました。
家に帰ると、二人の息子は、そまつなフトンで、丸くころがって眠っていました。
かべの子どもたちの絵にちょっと目をやりながら、まくら元に近づいた。
そこにはお兄ちゃんからの手紙があったのです。
「お母さん、ぼくは、お母さんのてがみにあったように、お豆をにました。お豆がやわらかくなったとき、おしょう油を入れました。でも、けんちゃんにそれをだしたら、『お兄ちゃん、お豆、しょっぱくて食べれないよ。』と言って、冷たいごはんに、お水だけをかけて、それをたべただけでねちゃったの。お母さん、ほんとうにごめんなさい。
でもお母さん、ぼくをしんじてください。ぼくのにたお豆を一つぶたべてみてください。
あしたのあさ、ぼくにもういちど、お豆のにかたをおしえてください。
でかけるまえに、ぼくをおこしてください。おいしいお豆の煮方をいっしょうけんめいにおぼえて、けんちゃんにたべてもらうから。
ぼく、さきにねます。あした、かならずおこしてね。お母さん、おやすみなさい。」
目からどっと、涙があふれました。 お兄ちゃんは、あんなに小さいのに、こんなに一生懸命、生きていてくれたんだ。
私は睡眠薬を捨て、子供たちのまくら元にすわって、お兄ちゃんの煮てくれた、しょっぱい豆を、涙とともに一つぶ一つぶ、大事に食べました。 今までで一番おいしい豆でした。
最後の一行には、どうか、お願いです。車を運転するみなさん、交通事故など、絶対におこさないでください・・・。と書かれてありました。
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このお話を読み終えたとき、熱い気持ちが湧き上がりました。そうして、私は、何度も、何度も、くり返し読みました。
きっと皆さんもそうだと思いますが、私は、今まで交通事故は被害者だけが悲しい思いをしていると思っていましたが、このお話を読んで、加害者にも、私たちの思い以上に悲しくせつない思いをしている人がいることを知りました。
そしても、何よりも生きることの大変さと素晴らしさの両方を、熱く心に感じる話だと思います。生きるということは、楽しいことばかりではありません。つらいこともたくさんあります。しかし、つらいこともありますが、それ以上に楽しいこと、嬉しいこともあるのです。今は、苦しくても、この先、きっと良いことがあるという希望を捨てないで欲しいと思います。一生懸命に生きる人には、輝く、素晴らしい人生が待っていると私は信じています。
今日は、交通事故の話を通して、生きるということを考えてもらいたくて、このような話をしました。
以上で2月の講話とします。