平成27年度 大阪成蹊女子高等学校 11月全校朝礼講話
先週土曜日の1年生の球技大会では、クラスは大いに盛り上がりました。また、その前の週は、幼児教育コースの2年生が見事な子どもミュージカル「ライオンキング」を演じてくれました。全員が参加するミュージカルには、皆さんの大きなエネルギーを感じました。そして、3年生の皆さん、これから受験を控えた人も少なくないと聞いています。自分の進路が決まっていても、全員の進路が決まるまでみんなで応援する協力体制を忘れないでください。
さて、先日読んだ読み物の中で、たいへん心に響いたメッセージがありましたので、今日は是非皆さんに伝えたいと思います。テーマは、「出産と命」です。これは、赤ちゃんの出産をサポートする助産師さんの内田美智子さんという人が書いた記事です。皆さんに、是非聞いてもらいたいと思います。
『目が覚めたら生きていた。
朝起きたら、もうご飯ができていた。
窓を開けたら美味しい空気があった。
毎日、ご飯が食べられる。
買い物に行ったら、欲しいものが買えた。
美味しいものを食べて美味しいと感じる。
結婚して子どもが生まれた。
子どもがすくすく育っている。
「こんなこと当たり前だと思ったら大間違い
世の中に当たり前のことは、たった、一つしかないのです。
それは、産まれてきたすべての命には必ず終わりがあるということ。
それだけが当たり前のことで、それ以外はすべて、奇跡なんですよ。」
と、助産師の内田美智子さんの話。
内田さんは、連日新しい命を取り上げている。その中には、15歳の少女もいた。
分娩室で彼女は「痛い、痛い!」と泣き叫び、やっとのことで3000gを超える大きな赤ちゃんを産んだ。妊娠に至った経緯は人に言えない。
しかし、産まれたばかりの赤ちゃんを抱きながら少女は「ママよ。私がママよ。」と笑顔で語りかけている。
しばらくして、ずっと寄り添っていた30代後半か、40代前半だろうか若くして祖母になったばかりの母親に向かって言った。 「ママ。ありがとう。」
同じ頃、国会議員の野田聖子さんが50歳にして出産した。「中学生だろうと、国会議員だろうと、母親は一人しかいない。育てられることに感謝して欲しい。」と内田さん。
30年以上もお産の現場にいると、そこには「おめでた」ばかりではなかった。
妊娠が分かってから女性は約10ヶ月の月日を経ながら、少しずつ「母親になる」という決意をしていく。
それは、自分の命を賭けて産むという決意だ。今でも、母親が自分の命と引き換えに子どもを産むこともある。また、死産もある。
ある妊婦は10ヶ月目に入って、突然、胎児が動かなくなったことに気づいた。
診察の結果、胎児は亡くなっていた。でも、産まなければならない。
普通、お産の時。「頑張って、もうすぐ元気な赤ちゃんに会えるからね。」と妊婦を励ますが、死産の時には掛ける言葉がない。
泣かない子の代わりに、母親の泣き声が分娩室に響き渡る。
その母親は、内田さんに「一晩だけこの子を抱いて寝たい」と申し出た。
真夜中、看護師が病室を見回ると、母親はベッドに座って子どもを抱いていた。
「大丈夫ですか?」と声を掛けた看護師に、母親は「今、お乳をあげていたんですよ」
見ると、母親は乳首から滲み出るお乳を指に付けて、子どもの口元に移していた。
「このおっぱいを、どんなに、この子に飲ませたかったことか。泣かない子でも、その子の母親でありたいと思うのが親」と内田さん。
子どもを育てるお父さん、お母さんには、
「子育ては時間が取られるなんて思わないで。育てられるだけでも、幸せなことよ。」
いじめている子、いじめられている子には、
「お母さんは命がけで、あなたたちを産んだの。だから、いじめないで。死なないで。」
と子どもたちに訴える。
「命が大切なんじゃない。あなたが大切なの。」 と。 』
ここに集まった生徒全員が大切な人です。そして、隣にいる友達も大切な人なのです。
お互いに大切にしあうということを心にしっかりと刻んで欲しいと思い、このお話を紹介しました。すばらしい学校は、すばらしい生徒の集まる学校です。大阪成蹊女子高校は大切な生徒が集まった、すばらしい女子高校であるという自信を持って下さい。
以上で、11月の講話とします。