お知らせ

10月1日全校朝礼での学校長講話

15.10.01

平成27年度 大阪成蹊女子高等学校 10月全校朝礼講話

 

今日から10月になりました。暦の上では平成27年度の半分が終わったことになります。
3年生の皆さんの多くは、先週の土曜日に、併設の大阪成蹊大学及び短大の併設校入試も終わりました。しかし、他の大学入試はまだまだ続いており、これから受験する仲間には、最後の最後まで全力を尽くしてもらいたいと思います。いち早く進路が決まった皆さんは、クラスの仲間全員の進路が決まるまで、がんばっている仲間を応援し続けてください。
先日の文化祭またコーラスコンクールでは、全学年、全コースの皆さんが、それぞれの持つ力を十分に発揮され、今年もすばらしい企画にしてくれました。この2日間の来場者数はおよそ3000人ということです。企画委員さんのリードはもとより、全員で努力し頑張った成果だと思います。ほんとうに頑張りましたね。
さて、今回、1年生の皆さんには初めての文化祭でしたが、行事にクラス全体で取り組むと、クラスの仲間のいろいろなことや、普段の授業ではわからない姿を発見できたのではないでしょうか。授業では見られない積極的な面、周りへの気配りに長けた面などです。人というのは、一緒に行動しているとき、相手のことが良く分かるものなのです。
 
今日は、久しぶりにイソップ物語の話をします。以前にお話ししたように、イソップ物語とは、2600年前の古代ギリシャの奴隷であった「アイソーポス」という人が書いたものといわれていますが、なかなか含蓄、教訓となる部分の多い話ですね。今日は、動物は登場しませんが、「旅人と財布」という短い話を紙芝居風にお話をします。
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ある時、二人の旅人が連れだって道を歩いていました。すると道端に、ふくらんでいる財布があり、それを一人が拾いました。
「やあ、僕は運がいいな!」と男は言いました。「僕は財布を見つけたよ。この重さだと、金貨でいっぱいだな」
「ちょっと待って、僕が見つけた、と言うなよ。」と連れが言いました。「僕たちが見つけた、僕たちは運がいい、と言いたまえ。一緒に旅をしてるんなら、道中の運も不運も一緒に分け合うのが当り前じゃないか。」
「いやいや」ともう一人が答えました。「僕が見つけたんだから、僕のものだよ。」
 
二人の間には、しらけた雰囲気が漂いますが、そのまま、一緒の旅を続けます。
ちょうどそのとき、「待て!泥棒!」という叫び声が聞こえました。見回すと、人々が一団となってこん棒を手にして、こちらに向かってやってきます。必死の形相で追いかけてくる一団を見て、財布を見つけた男がうろたえました。
 
「どうしよう!僕たちのところに財布があるとわかったら、僕たちの命がなくなる」と男は叫びました。
「いやいや」ともう一人が、冷静に答えました。「君は、先ほど”僕たち”とは言わなかったじゃないか。”僕”が拾ったんだろ、だから今度も””僕の命がなくなる”と言いたまえ」 という話です。
 
この話の直接的な教訓は、この英文に書いたとおりです
We cannot expect any one to share our misfortunes unless we are willing to share our good fortune also .
 
財布を拾った人が自分で一人占めしようとした結果であり、「不運と同じく幸運も分け合う気持ちが無ければ、人に不運を分け合ってもらえません。」というものです。
 
つまり、この話では、拾った財布を自分一人のものにしようとした男の身勝手さを批判していますね。幸運は独り占めにして、悲運は他人と共有するという身勝手な個人主義だといえます。しかし、悪いのは、財布を拾った男だけでしょうか。もう一人の男は、悪くないのでしょうか。皆さんは、どう感じますか。
 
この旅人たちが友人でもなく、単に一緒に歩いていた他人同士であれば、そのとおり悪いのは財布を一人占めにしようとした男でしょう。しかし、友人という関係であれば、もう一人の男も、問題です。それは、常に他者からお金や恩恵をもらうことを条件、あるいは前提として動くというのは、友情とはいえません。 他者との関係において、他から恩恵をもらうということを前提とするのではなく、まず先に自分から相手の役に立つことをする。相手に恩恵を与えるというところに出発点を置く関係が友好的な関係の基盤でもあるのです。
友情とは、相手から一方的な恩恵を受けるだけの関係ではなく、双方に恩恵を与える、お互い相手のために努力できる姿勢が、お互いを成長させ、真の友情になるのです。友情の素晴らしさは、喜びや悲しみを分かち合えるということ、友だちの喜びは自分の喜び、友達の悲しみは自分の悲しみということなのです。
社会では、「他人は他人、自分は自分」という個人主義の精神が使われることもあります。ある一面では必要かもしれません。しかし、社会のすべての面で個人主義は通用するものではありません。個人を尊重するという精神は大切にしつつ、お互いを尊敬し、お互いにいたわりあうことは、それ以上に必要で重要なことなのです。
お互いに尊敬し、いざというときには助け合うことが出来るのが理想的な関係といえるでしょう。まさに、忠恕の精神です。
冒頭に話したとおり、3年生はこれから進路が決まっていきます。自分だけが決まっていいというものではなく、クラス全員が希望する進路を開かれるよう、いろいろな面で助け合って欲しいと思います。
皆さんが、仲良く、楽しい高校生活を送ることを期待して、10月の講話とします。
 
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