お知らせ

8月25日始業式での学校長式辞

18.08.25

平成30年度 大阪成蹊女子高等学校 第2学期始業式式辞

 

全校生徒のみなさん、おはようございます。

気温と湿度が高いこともあり、急きょ放送による始業式としました。

画面が小さくて見にくい点があるでしょうがしっかり聞いてください。

 

①進路選択の2学期ということもあり、早速ですが今日は大学進学を目指している全コースの生徒のみなさんに、特にキャリア進学コース、キャリア特進コースのみなさんに、校長先生自身が進路選択した時の話をしたいと思います。

もし このお話のタイトルをつけるとしたら「分岐と選択」という題になります。

 

②私は、大阪市西成区にある下町で生まれ育ち、家から近くの大阪市立小学校、大阪市立中学校に進みました。

写真は小学校6年生の時の私です。中学を卒業するときに初めて進路を選択する機会がありました。

私立高校に行くか、公立高校に行くか、働くかです。私は公立高校に進学しました。

 

③高校2年生のとき一つの分岐点がありました。文科系に進むか理科系に進むかというものでした。

私は理科が好きだったのであまり迷わず理科系に進みました。

そして高校3年生のとき、就職するか、私立大学に進学するか、国立大学に進学するかという大きな選択の時がきました。これは受験勉強という努力が必要な選択でした。

私は国立大学に進学しました。

 

④国立大学の理系学部に進学した私は、卒業のときに就職というこれもまた大きな選択の場に立たされました。

理系の学生の多くは、大学の研究者か、企業の研究者になり、もの相手の研究という仕事につくものです。

一方で私は、人を相手にする仕事をしたいと思っていることが自分の中ではっきりしてきていました。

そして理系の記事を書く新聞記者と高校の化学の先生になることをめざしました。

最終的に高校の先生になりました。

 

⑤公立高校の化学の先生になってから、最初に大学進学者の多い学校の先生を経験しました。

その後転勤になり、就職希望者の多い学校を経験しました。

ちょうどその頃、日本の政府が海外で日本語を教える先生を募集していました。

大阪からはイギリスに一人、オーストラリアに一人が派遣されるということでした。

私はこのチャンスに応募し、選抜試験を受けました。そして、2年間の海外派遣を経験しました。

オーストラリアのトゥーンバという町で高校生を中心に日本語を教えました。

偶然ですが、この町は本校のモーガン先生のふるさとでもあります。

そしてその後一つの分岐を迎えました。

授業を受け持つ先生であり続けるか、先生を纏める管理職になるかという分岐でした。

色々な思いがありましたが管理職の道を選びました。

 

⑥管理職として、教育委員会の指導主事の仕事、高校の教頭先生の仕事、高校の校長先生の仕事を経験して、大阪成蹊女子高校とご縁を得ました。

みなさんに会うことができました。これが私の選択の最終的な答えでした。

 

⑦全コースの生徒のみなさん、特に大学進学を目指しているキャリ進コース、キャリ特コースのみなさん、「分岐と選択」の時はこれからたくさんあります。

たくさん努力をして、しっかり考えて進んでください。

でも分岐と選択がたくさんあるということはやり直しもできるということですよ。それも知っていてください。

 

⑧女子に特化した教育を進める本校では、「結婚」「出産」「仕事」等 女性ならではの選択を「キャリアデザイン」等でしっかり学びます。

全コースのみなさん、あなた自身の「分岐と選択」を悔いのないよう進んでください。今日のお話は以上です。

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